息子が気管支喘息と診断されたのは、1歳の時でした。
診断された時のことは、別の機会に改めて振り返ることにして、喘息の診断から約1年後。息子が2歳の時に喘息大発作を起こしました。
喘息コントロールができていなかった、猛反省すべき出来事です。
11日間に及んだ入院体験記を反省しながら振り返り、まとめました。
喘息コントロールの知識不足!「なるべく薬は使いたくない」と思っていた
今となっては重々承知の「喘息コントロール」ですが、この時はまだ息子も小さくて、毎日毎日、幼い子に薬を使うことに抵抗がありました。
なるべく薬は使いたくない、なるべくなら薬を使わずに治したい、という想いが常に先行していました。
咳=喘息悪化に注意、という意識にも欠けていました。欠けるというより無知に近かったのかも。”風邪の咳”と”喘息の咳”が別物だと思っていたのだから!
喘息と風邪は別物だと思っていたから、熱が出ている=喘息じゃない、と思っていました。完全に知識不足!、この時の自分を殴りたいです。
「風邪ひいて咳が出ているだけだ」と思って、喘息薬の吸入をしない。「薬を使わなくても自然に治るかもしれない」と思いながら、喘息薬の吸入を遅らせる。ハァハァと荒い呼吸の症状を見ても「息が荒いのは高熱のせいだ」と思い、それが「喘息の発作」であることに気が付かない-。
その結果が、気管支喘息大発作でした。
高熱!受診したその日に緊急入院!
聴診器で胸とお腹の音を聞き終わった先生が言った、この一言。
純粋な質問にも、この状態はヤバイとも、私を責めるようにも聞こえる、この言い方。今でも忘れられず、頭に残っています。
1年前に喘息だと診断してくれた先生です。
受診しようと思った日が、病院の休診日と重なったこともあり、この日の息子は既に、自分で歩くことができないような状態でした。
受診して初めて、息が荒いのは高熱のせいではなく、喘息の発作だったんだ!と分かりました。
(なんて愚かだったんだろう!)自分を呪いました。
受診したこの小児科は、簡易ベッドと処置室だけのクリニックで、入院施設はありません。紹介状を書いてもらい、ここから一番近い、大きな病院に向かいました。
「入院する」という実感もないまま、緊急入院でした。
「急性気管支炎・気管支喘息大発作」と診断!その入院診療計画
ゴメンね、ゴメンね…と言う度に、2歳の息子はうなずいていたけど、あまり言葉は発しませんでした。かわいそうに、苦しかったんだと思います。
大病院での診断は、「急性気管支炎」「気管支喘息大発作」でした。
入院の準備が進められ、もらった入院診療計画書には、以下のように書かれていました。
【病名】急性気管支炎、気管支喘息大発作
【症状】発熱、息苦しさ、咳
【治療計画】喘息発作を抑えるために酸素投与、ステロイド薬の点滴、気管支を広げる薬の吸入、痰を出しやすくする薬の内服、感染に対する抗生剤の点滴
【推定される入院期間】~1週間
点滴と内服薬…。結局、薬を使わないと治せない段階に来てしまいました。
この時の入院予定期間は「約1週間」。しかし、1週間では終わらない、入院生活が始まります。
急性気管支炎・気管支喘息大発作の治療内容とは?
入院してからの治療内容は、大きく分けて5つです。
・酸素投与
・点滴
・4時間おきくらいに吸入
・痰と鼻水の吸引
・内服、ホクナリンテープ貼付
【酸素投与】
酸素が出てくるホースを口元に常に当てておきます。
【点滴】
抗生剤の点滴と、気管支拡張剤の点滴が含まれていたと思います。
「ソルデム3A輸液」「ピスルシン静注用」他
【約4時間おきの吸入】
使用した吸入薬は、「ベネトリン吸入薬」「ビソルボン吸入薬」です。
自宅での喘息コントロールでは「パルミコート」「メプチン」なので、入院時は普段と異なる薬でした。
【痰と鼻水の吸引】
これが一番、息子にとっては恐怖(私にとっては苦労)の治療。
鼻にホースを突っ込み、喉の奥の痰や落ち込んだ鼻水を吸い取ります。
【内服、ホクナリンテープ貼付】
内服・頓服は、「ムコダインDS50%」「アンブロキソール塩酸塩細粒1.5%”タイヨー”」「キプレス細粒」「カロナール細粒」など。
外用薬として、ホクナリンテープ(別名:ツロブテロールテープ)を胸の近くに貼りました。
これらの薬を使って治療しました。
喘息発作快復まで入院11日間!治療経緯と息子の様子
では、実際の入院生活はどうだったのか?
入院中に、私が実際に記録(メモ)した「子どもの様子」をご紹介します。
※赤字は、専門医から教わったことです。
■入院1日目
咳がひどい。
熱は、39.5度。
高熱でハアハアしている。
■入院2日目
熱は、37度台にまで落ち着く。
朝は少し食べたが、昼からはパニック状態。
起きていると泣くだけの状態。
ごはん食べられず。
夜はハァハァして咳がすごい、苦しそう。
熱は下がるも、すごい苦しそうなことが分かる。
■入院3日目
熱は、37.0度を下回る時間帯も出てきた。
バナナとゼリーしか食べない。
寝ている時は、酸素マスクで酸素値97~100まで行くことができた。
■入院4日目
寝ながら酸素マスクができるようになってきた。
ご飯とお魚を少し口にした。
まだ息はハァハァしている。
「入院は長引く」とのこと。
感染系の風邪症状は終わるも、喘息発作による入院生活はまだまだ終わらないと察する。
■入院5日目
夜は咳がひどく、吸入・吸引でしのぐ。
胸の音はキレイになってきている。
起きて座ると、まだハァハァしている。
酸素濃度は、少し増えてきた。
ここでようやく、ベッドの上に座れるようになった。
■入院6日目
夜中~朝にかけて、咳がひどい。
食欲がない。
痰の吸引を多めにした。
昨日よりハァハァして、調子が悪い。
※分泌物が多くなると、痰の粘り気が少なくなり、むせりやすくなる。
※なるべく吸引して、逆流や咳を防ぐ。
※これを怠ると、肺炎になってしまう。
■入院7日目
夜~朝は、咳がひどい。
吸引すると、咳は落ち着いた。
朝ごはんは、少し食べた。
ずっと動いていないので、手足がかなり細くなってしまった。
■入院8日目
リハビリ師が様子を見に来た。
咳の時のさすり方や、腹式呼吸に向けてアドバイスを受けた。
少し元気が出て来て、呼吸のハァハァがなくなってきた。
※複式呼吸にして、胸郭を強くすることが大事
※ボール投げや、脇腹をねじるような動き、胸を広げるような動きが効果的
■入院9日目
体に付いている「管」を全て外して、プレイルームで遊んだ。
歩くのも上手くできない。
ハイハイのような感じで動くしかできなかったが、次第に歩けるようになった。
保育園の友達のママが、この病院で働いているので、様子を見に来てくれて、その時は元気が出たのか、食事に手をつけて食べてくれた。
夜のみ、足の親指に酸素計測器を付ける。
■入院10日目
食欲が出て来て、鮭おにぎりをペロリと食べた。
病院の食事のおかずは食べない。
ばあばが持ってきた煮物はパクパク食べた。
歩くのは、まだ不自然。
入浴許可が出て、久々のシャワー。
■入院11日目
混乱して泣く。
パニックなど不安定な部分あり。
咳は残っている。
痰がからんでいる。
不安はあるが、ここで退院となった。
「喘息コントロール」の重要性を知る
こうして11日間の闘病生活を終え、退院日を迎えました。
ここでお伝えしたいのは、何よりも「喘息コントロールの大切さ」です。
喘息を正しく理解しなければ、必要な時に必要な吸入薬を使うことができません。気管支で炎症を起こるとどうなるか、気管支の空気の通り道が細くなるとどうなるか、喘息の子の気管支がどういう状態なのか、早めに対処しないとどうなるのか。親としてちゃんと勉強しなければならないのです。
この時の私は、「アトピー性皮膚炎が悪化しているのに、ステロイド薬を怖がって使わなかったり量を減らしたりしていた」状態に似ていたのかもしれません。必要な時に、必要な量の喘息薬を使わなかったために、症状が悪化してしまいました。
この時の気管支喘息大発作を機に、私は喘息の日々のコントロールの大切さを実感しました。
この入院以来、明らかに変わったこと-。
それは、
咳が出たら、迷わず吸入!
です。
熱がなくても、咳がちょっとでも、いつもより咳が出始めたと思ったら、迷わず吸入の種類を切り替えます。
二呼吸の吸入で事が済む「アドエア」や「フルタイド」を使っていると、10分も15分もかけてネブライザーで気化した吸入薬を吸い続けるのは面倒ですが、大発作を思えばなんのその!
気管支の炎症は、悪化する前に抑えろ!これ絶対です。
咳が出た時に息子が使っているのは、オムロンのネブライザー。
気管支喘息の子供たちが、正しい喘息コントロールのもと、成長と共に使用する吸入薬も楽になり、症状も改善しますように。
次回は、喘息大発作の入院生活で困ったこと、意外と困らなかったこと、5歳現在までの喘息コントロール方法などをまとめたいと思います。