小学校の入学式。当日の朝は時間が無かったため、正門前での記念撮影は、最後の最後に取っておきました。
式が終わった帰り道、正門横には既に、記念撮影の順番待ちの列ができていました。列の最後尾に付くと、私たちの前には、ある親子が並んでいました。
今回は、この時に目撃した出来事について語ります。子供の「肯定感」について考えさせられる一面でした。
「帰りたい!」ずっと泣いている女の子
この日。息子は、他の新入生と共に、大人しく座り、皆と並び、呼名に返事…と、全ての工程を(息子なりに)立派にやり遂げました。
本人も緊張感から解放され、重荷を下ろした気分だったのでしょう。
帰り際、校門前で写真を撮るために並んでいる時は、「疲れた~」と言ってしゃがみ込んだり、「あの木を見て来ていい?」と言って列を離れたりしましたが、終始リラックスした感じでした。
私も夫も、荷が下りた気分。終わったばかりの入学式について感想を言い合っていました。
一方、私たちの前に並んでいる家族(3人)の様子は、真逆の雰囲気でした。
女の子(新入生)は、「帰りたい!帰りたい!」と泣き叫んでいました。
父親は、女の子の代わりにランドセルを持ちながら、無言で見つめていました。
女の子の母親も、無言。女の子に背を向け、女の子から時々すがるような態度をされると、無言で振り払っていました。
(か、かわいそう…。)
私は可哀想だな…と思いながらも、この時はまだ(どちらかと言えば)両親寄りの気持ちでした。
一生に一度しかない小学校の入学式で、子供のために記念日の写真を残そうと、暑い中(※)、スーツ姿で並んでいる。
※初夏並みに暑い4月だった。
他の子は我慢して大人しく並んでいるのに、自分の子だけ泣き叫んでいる…。
そんな状況であれば、親としてイライラする気持ちが理解できました。
それでも行列に並んでいる…まずは共感して褒めてあげてよ!
だけど、15分くらいが経過して、次第に私がイライラ。他のファミリーだって、白い目で見始めています。
だって、女の子の両親は、至って無言。何にも声を掛けない!
「泣くのを辞めなさい!」とも「じゃぁ帰る!?」とも言わない、ただ無言なのです。
父親は、母親から何か言われるのを警戒して、何も言えないような雰囲気でした。
母親は、明らかにイライラしている様子でした。
解らなくはないけど、女の子は泣くほど帰りたいのに、かれこれ約15分間、行列に並び続けているのです。
「帰りたい!」と訴えているのに、両親が(無言で)並び続けるから、「帰れない」「並ばなければいけない」と察して、従っているのです。
現に、行列の順番が進む度に、前へ前へと列順を詰めているではありませんか。
女の子は、その場で泣き叫んで動かないわけではなく、ちゃんと”並びながら”泣いていました。
「暑いね、帰りたいね」って、共感してあげなよ!
「嫌なのに、ここまで並べたね」って、褒めてあげなよ!
と思いました。
私は次第に、女の子寄りの気持ちになって、女の子の両親に対してイライラしてきました。
両親に代わって「もうすぐだよ」と言える”お節介チャンス”もなく…
せめて無言じゃなくて、「泣かないで」くらい声を掛けてあげて欲しい。
列を離れる気がないのなら、「もうすぐだよ」「終わったら帰るから」くらい言ってあげて欲しい。
いつまでも続く泣き声に、周りの皆が違和感を覚え、ジロジロ見始めています。
息子ですら「どうしてあの子、ずっと泣いているんだろうね?」と、私に聞いてきました。
もしも、女の子の両親が「(泣いてうるさくて)すみません…」という仕草でも目配せでもいいから、こちらに向けてくれたら、「いえいえ」と返事をしつつ、女の子に向かって「大丈夫、もうすぐだよ」と、お節介でも言いたい気持ちでした。
もしも、女の子がこっちに目を向けてくれたら、「頑張ったね、もうすぐだよ」と、お節介でも言いたかったです。
でも、そんな”お節介チャンス”は、全くありませんでした。
後ろに並んでいる私たちには背を向けたままで、横顔すら見せようとしない雰囲気でした。
衝撃の結末に唖然!成功体験を親が放棄!?
並んでから30分ほど経過した頃、順番が来ました。
”私たちの順番”ではなく、私たちの前に並ぶ、その親子の順番です。
よかった、よく頑張った、泣き顔でも良いから、写真を撮ってもらいなね…と思いました。
しかし、胸を撫でおろしたのも束の間。
もう唖然。開いた口が塞がりませんでした。
大きな「入学式」の看板を目の前にして、その母親は去ったのです!
記念撮影の順番が(やっと)来たのに、順番が来たところで、写真を撮らずに帰ったのです。
去った母親を追うように、父親は女の子の手を引いて、去って行きました。
な、なぜ!?
なんなの!?
「ゴール目前で諦めた」という、シンプルな状況ではありません。
ゴールしたのに「ゴールするもんか!」と走り去り、残された人々が理解できずに唖然とする感じ?
「ゴールなのにフィニッシュしない」という、変な感じ。
見ていた私が混乱する状況でした。
前に並ぶ家族が突然去ったので、私たち3人の撮影順番が一瞬で回ってきました。
前の家族が撮影している間に、荷物を置いたりカメラを準備したりする予定でしたが、それが一瞬でなくなったので、かなり慌てた撮影スタートでした。
内心も複雑。
なぜ、あの母親は、順番が来たのに、写真を撮らずに帰ったのだろう?
なぜ、結果を手にするところで、自ら放棄するんだろう?
あの親子にとって、ここまで頑張って並んだ意味とは、何だろう?
約30分間、泣きながら並び続けて頑張った「結果」…。あの女の子が手にするはずだった「成功体験」が、虚しく消え去ったように感じました。
声掛け・説明は必至では?”無言”はあり得ない…
私にとっては衝撃でしたが、とても考えさせられる出来事でした。
もしも自分だったらどうするか?息子だったらどうなるか?考えさせられる出来事でした。
◆並んでいる途中で「帰りたい!」と泣き叫ばれた場合
・なぜ帰りたいのか聞く。
・なぜ並んでいるのか説明する。
◆(それでも)泣き続ける場合
・今「列」から離れると、どうなるのか説明する。
・結果を納得した上で、一旦「列」から離れる。
◆「列」には並びたいけど「帰りたい」複雑な気持ちの場合
・「列」に並ぶ必要があると理解できたことを褒める。
・「帰りたい」気持ちに共感する。
・一緒に並びたい(写真を撮りたい)という目的を説明する。
・ここまで我慢できたことを褒める。
◆順番が回ってきた時
・ここまで頑張ったことを褒める。
・ここまで来れたことをお母さんは嬉しいと伝える。
・ここまで来れたから、何ができるのか説明する。
◆記念撮影が終わった時
・我慢して頑張って並んだから、撮影できた!と褒めまくる。
・一緒に写真が撮れて嬉しいと、喜びまくる。
こうやって考えていると、無言なんてあり得ない。
説明や声掛けは必至だし、それによって「私自身が目指す所」に息子を導くと思う。
息子本人に理由や目的は伝えた上で、結果的に、親が思う方向に説得できるように頑張ってみる。そこで「終始無言」は、やっぱりあり得ないかも。
「無言」では何も伝えられないからです。
自己肯定感を下げ、失敗体験を積んだだけの悪い例!
一番あり得ないのは、最後の最後で「失敗体験」として貶めた行動!
我慢させて我慢させて我慢させて、最後に「はい、ダメ!」と落とす行為。
なぜ、あの母親は、あんな態度をとったのだろう?
不思議で仕方ありません。
たとえ無言でも、我慢させて我慢させて我慢させて、最後に「ほら、できた!」と称える態度が見れたなら、私もスッキリできたかも。
あの育児(態度)は、あの女の子の自己肯定感を下げ、失敗体験を積ませただけの最悪事例だと思ってしまう。
泣きながら我慢して並んで順番が来た時に、もしも「よくここまで頑張ったね」と褒めていたら、あの女の子にとって「成功体験」になっていたのに。
言葉で伝えられなくても、撮影していれば(結果に繋げていれば)、成功体験になっていたのに。
あの状況では、女の子にとって「失敗体験」だし、自己肯定感の低下を助長している!
あの女の子は、自分が泣いて嫌がったせいで「入学式の記念撮影ができなかった」と感じてしまうかもしれない。
入学式の家族写真が無いのは、自分が泣いて嫌がったせいだと思ってしまうかもしれない。
あの女の子は、撮影の順番が回ってくるまで、最後まで並んだのに!
誰もあの子に「写真が撮れなかったのは、あなたのせいじゃない。あなたのお母さんが去ったせいだよ。」なんて言えないし…。
帰り道、道路を挟んで反対側の歩道に、あの女の子と父親がいました。
怒って先に帰ったのか、母親はいませんでした。
父親は、立ち止まっている女の子の前にしゃがみ、何かを説得している雰囲気でした。
女の子は、うつむいたまま、父親の話を聞いている様子でした。
私が入学式の帰りに見た場面。皆様は、どのように感じるでしょうか。