芸術の秋、5歳の秋。
軽度ASD(発達障害・自閉症スペクトラム障害)の息子が、描いた絵を観賞しながら、その特徴を分析します。
1年前(4歳)と何が変わったか?絵の描き方で見える成長
頭の中のイメージを絵に落とすところは、1年前も今も変わっていません。
息子が5歳になってから描いた絵を見て思う事は、「単品」ではなく「その単品を取り囲む全体像」まで表現することが増えた、ということです。
例えば飛行機や戦闘機の場合、4歳の頃は「飛行機」だけ「戦闘機」だけを単品として1つだけ書いて、「出来上がり」として認識していました。
5歳になると、「飛行機が飛んでいるところ」「戦闘機が戦っているところ」のように、書きたい物を取り巻く世界感も含めて、表現することが多くなりました。
頭の中でイメージできるものが、単品・物体だけでなく、周りにあるもの・周りの風景にまで広がったようです。
視野が広がり、イメージとしてキープできるということは、それだけ成長したということかもしれません。
輪郭(シルエット)だけを先に描く…独特な模写
左がお手本、右が息子の絵(模写)の書き途中
息子の絵の描き方で、最近、すごく気になっていることがあります。
明らかに、1年前とは書き方が、変化していること。
それが「模写」の方法です。
1年前は、「全体の輪郭ではなく、部分から描く」という観点が、気になる特徴として挙げたことです。
ところが今は、むしろその逆で、「全体の輪郭だけを先に描く」という技法なのです。
いや、”輪郭”というより、”シルエット”と言った方が適切かも…。
上の写真(左)は、5歳の息子が愛読している「ゼルダの伝説ブレス オブ ザ ワイルド」の図鑑です。
毎日毎日、その日のお気に入りキャラクターの”お手本”を見つけては、自分で描いて切り取り、お気に入りアイテムにするのですが、その書き方が気になって仕方ありません。
写真(右)は、息子が”お手本”を参考に、模写を始めた途中作品。輪郭が仕上がり、赤い部分を書き始めた段階です。
輪郭(シルエット)だけを、時計周りに、どんどん書いていくんです。
この後、体の模様・ネジの模様・足のシワ…etc、細かい部分を描いて、輪郭の中身を埋めていきます。
この”お手本”の絵を見ると、私の脳内では、シルエットだけが浮かび上がるようには認識されないけど、息子にとっては最初にシルエットがくっきり見えるのか。
模写を始める度に、「息子には、どうやって見えているんだろう?」と考え込む自分がいます。
シルエットの輪郭だけを先に仕上げる、息子の脳内・認識の仕方は、やっぱり私とは違うんだなぁ、と。
想像力がすごい!この「運動会の絵」の凄さとは
これは、息子が今年、保育園の「運動会」を描いた絵です。
私は、この息子の絵が、保育園の廊下に飾ってあるのを見た時、とてもビックリ!しました。
この何の変哲もない絵の、どこがスゴイのかと言うと・・・
息子は、
運動会を欠席!
したのです。
運動会の当日、38.5度の熱を出し、参加を断念しました。
本番を経験していないはずの息子が、障害物競走の本番シーンをバッチリ描いていました。
本番は、いつもと違う黒い服で、障害物競争を手伝ってくれる先生。
成功しても失敗しても、カラフル4段の跳び箱を飛んだ後は、着地ポーズをするんだ!と意気込んでいた息子。
ボールを投げて、青鬼の顔にぶつけるのが楽しい、と言っていた息子。ちゃんと笑っています。
障害物として登場する、特設の鉄棒も登り棒。見事にこなしている自分の姿。
ぜ~んぶ、想像して描いていました。
実際に見た風景や出来事だけでなく、想像して絵に落とす能力が、格段とアップしたな、と思う瞬間でした。
普段は視覚優位な息子に対して、実際に見せたり絵に描いて説明したりしているけど、視覚アピールがなくても、言葉や自分の想像だけで”イメージトレーニング”ができている部分もあるんだ・・・
息子の「想像力」から、大きな成長を感じました。
視覚アピールがなくてもイメージして仕上げた「未来図」
そんな息子は、もうすぐ6歳。
何も見ないで、何もお手本にしないで、自分で想像した絵を描けるようになりました。
そう言って、息子が描き始めた「未来図」は、3階建ての豪邸とビルが一体化した自宅と、それを取り囲むハイテク機器や乗物が飛び交う風景でした。
屋上を飛んでいる虫のような生き物は、「妖精」だそう。家にオバケが来ないように、守ってくれる妖精だとか。
自分の部屋には、トランポリンを置いたと言っていたので、向かって左上の部屋だと思います。
3基の天体望遠鏡では、土星を観察できます。
☆
自閉症スペクトラム障害は、「認知の違い」「認知のズレ」などが問題視されることもあるけど、自分なりに認識できる・イメージできる・アウトプットできる…という部分は、確実に少しずつ成長している。
息子が描いた絵。
そんな想いを抱きながら、観賞したのでありました。